日本の建国者は誰?

例えば中国やアメリカなら建国者ははっきりしている。じゃあ日本はと言うと誰なのか。神武天皇は年齢から考えても実在が疑わしい人物だ。紀元前の長寿と言えば仏教の開祖のお釈迦様だが、お釈迦様ですら80代で死んでおり100年以上、生きてない。となると日本を建国したのは誰なのか?

陽明学がなぜ危険思想なのか詳しく教えて?

それに対して、陽明学は、「情」と「心」なんて簡単に分けれるかボケっつって、「心即理」、人間は生まれながらに「理」を体得している、と説いた。これは、いかなる行為や心情も「理」として正当化しうる危険性があるわけよ。だから、日本でも中国でも、常にその危険性が強調されていたんだね。

暗殺された天皇はどれぐらいいるのですか?

〈暗殺〉公式に天皇暗殺が記録(認定)されているのは、第20代・安康天皇と第32代・崇峻天皇の2人安康天皇を暗殺した眉輪王は皇族、崇峻天皇を暗殺した東漢直駒は蘇我家臣〈暗殺説〉真偽をめぐって最も「毒殺による暗殺説」が囁かれ続けているのは第121代・孝明天皇〈暗殺未遂の記録〉暗殺未遂が記録されている天皇は皇后に殺されそうになった第11代・垂仁天皇勘違いの嫉妬で矢を射掛けられて袖を突き通され、さらに別の矢で従者を射殺された第65代・花山天皇(当時は退位して花山法皇)

池田屋事件、天皇を奪回する計画を練っていたってのは本当でしょうか?

京に火を放ち、天皇を奪回するってのは、新撰組がでっちあげた冤罪だよ。土方が壮絶な拷問で古高(近江出身の志士)に無理矢理自白させたもの。しかも新撰組は、池田屋を直接捜索してないんだよ。祇園で片っ端から旅籠を捜索しまくってる記録が残ってる。つまり、新撰組は、情報キャッチ出来てなかったって事。次に、古高を証人として、生かしておく事はしないで早々に処刑してしまってる。貴重な証人のはずなのにな。歴史をきちんと調べてたら、池田屋事件は新撰組が起こした冤罪事件とすぐ解ります。京に火を放ち、天皇を奪回する計画は、土方に壮絶な拷問を受けた近江の古高の自白以外確証は一切ない。

「にほん」とかなで表記されている最初の文献はわかっているのですか?

「新羅本記」では670年に倭が国号を日本と改めたと書いているおそらく文字としての日本が定着したのはこれ以降日本の和語である「にほん(にっぽん)」もこの漢字ができてからの読みだろうそれ以前のやまとに「日本」を宛てるのは後世の書物の宛て字だろうね

聖徳太子は父親、母親までわかっているし、17条憲法や冠位12階などの実績も多いのに、 なぜ「架空人物説」があるのでしょうか?

17条憲法や冠位12階などは、実際は蘇我氏がやった業績。蘇我氏を亡ぼして天皇権力を確立できたわけだから、それまでの良い業績は、聖徳太子という架空の人物を創作して、みんなその業績とした。

応仁の乱がなければ、もっとたくさんの書物が現存しましたでしょうか ?

「源氏物語」の最有力な写本が応仁の乱で失われいる紫式部の自筆本がどうなったのかは記録がないので全くの不明なのだが平安時代に従一位源麗子が写本したものが室町時代初期まで残っていたことがわかっている源麗子は紫式部が仕えた藤原彰子の姪(藤原道長の孫)に当たる人物。関白藤原師実(彰子の甥)の室であり紫式部とあまり時代が隔たっておらずかつ紫式部が源氏物語を献上した彰子の身内であることからかなり信憑性の高い写本であったこと推測されている麗子写本の源氏物語は代々摂関家に伝えられたが応仁の乱の混乱で焼失したとみられており研究者が惜しんでいる

郷土史を調べていると、「加子は○人、内役加子は○人」と書いてありますが、加子とは何ですか?

そこまで判ったらググれば判るだろ。平家物語によると壇ノ浦で義経は非戦闘員である「かこ・かんどり」を狙えと命令して平家にひんしゅくを買っている。かんどり(梶取)は舵取りなので、かこ(水手)は水夫となる。

武士が台頭する以前の時代、貴族などの覇権争いで武力を担っていたのはどういう組織なんでしょうか?

武士が台頭する以前の時代、貴族などの覇権争いで武力を担っていたのはどういう組織なんでしょうか?
蘇我氏を滅ぼした、などという記述を見ますが、こういうのは戦国のような戦ではなく、現代の地方における暴力団抗争のような小規模の争いのイメージであってますか?

ヤマトタケルは何故、 天皇になれなかったの?

暴れん坊で父王に疎まれて、古今東西の余った王子によくあるように統治の安定していない辺地に行かされてた。争乱に巻き込まれて死ぬなら死ぬでよし、あわよくば統治出来たならそれはそれで万々歳。で、後者の方で、新領土も獲得。ほめてやるから還ってこい、と呼び戻したら帰途で急死。

江戸時代末期に倒幕の機運が、実際に江戸幕府を倒してしまうまでに高まった理由は何に求められるのでしょうか?

大老阿部正弘がそれまでの慣例を破って朝廷や諸大名に意見を求めたことで幕府の権威が失墜した。それやこれやの出来事の結果、「幕府の力も大したことはない、もしかしたら倒幕出来るんじゃね!?」という機運が高まった。

戊辰戦争で新政府軍に付いた彦根藩が心情的に理解できません?

井伊直弼が安政の大獄の圧政で怨まれて暗殺された後彦根藩は江戸幕府から圧政を咎められて30万石からいきなり20石へ減封されている彦根藩ではこれまでの政治を改めるとして直弼の側近だった長野主膳を切腹させるなどしたが許されなかった幕末の動乱鎮圧で3万石ほど戻したが新政府についたほうがもっと良いと判断したんだろう