カテゴリー: 室町時代

応仁の乱がなければ、もっとたくさんの書物が現存しましたでしょうか ?

「源氏物語」の最有力な写本が応仁の乱で失われいる紫式部の自筆本がどうなったのかは記録がないので全くの不明なのだが平安時代に従一位源麗子が写本したものが室町時代初期まで残っていたことがわかっている源麗子は紫式部が仕えた藤原彰子の姪(藤原道長の孫)に当たる人物。関白藤原師実(彰子の甥)の室であり紫式部とあまり時代が隔たっておらずかつ紫式部が源氏物語を献上した彰子の身内であることからかなり信憑性の高い写本であったこと推測されている麗子写本の源氏物語は代々摂関家に伝えられたが応仁の乱の混乱で焼失したとみられており研究者が惜しんでいる

カチカチ山の民話の成立時期っていつ頃なんだろう?

室町時代末期には成立していたと見るのが一般的らしい。その場合唐辛子は後の世の改変と考えられる。民話は時間的にも空間的にも伝承する間に改変されて時代や土地で違う話になってるというのはよくあることです。グリム童話の「いばら姫」とペロー童話の「眠り姫(眠れる森の美女)」とか同じ話が国によって違う話になって語られていた例として有名です。唐辛子の部分を除くとタヌキは火責めと水責めにされた事になり、これは古代からある神明裁判(盟神探湯、火起請)の類型でウサギは裁判官だそうだ。

室町幕府だって東国武士が興した政権なのに、なぜ関東地方の統治に熱心でなかったのですか?

別に熱心でなかったわけではない。後醍醐天皇が南朝を起こしたおかげで室町時代の初期には京都の情勢が一番重要になったから京都に幕府を置く必要があった。南北朝の騒乱は三代将軍義満の時代まで続く。東国には手が回らないから分家を置いたら関東公方と称して幕府に対抗しようとした。